息子の東大の入学式が武道館であり参加してきました。入学式が終了したら「清水門」の方へ行かなくてはいけないのですが、そちらには、歩く道や階段に大きな石があり、なかなか歩きにくいところでした。
不思議だったのであとで調べてみたら、その理由や歴史が面白かったのでまとめてみました。ぜひ見てみてくださいね。
そもそも清水門とは江戸時代のもの
皇居北側の「北の丸公園」にある、重要文化財となっている門です。北の丸公園には、「清水門」以外にも重要文化財が3つあって、「田安門」、「国立近代美術館分室工芸館(旧近衛師団司令部庁舎)」、そしてこの「清水門」です。
清水門が造られたのは詳細不明だそうですが、江戸時代の1620年頃には既にあったとの記録もあるそうです。現存する門は、大火事により消失した後の1658年に再建された門、とのことです。
また、清水門という名前の由来は、昔この辺りに清水が湧いていたから、とか、当時清水寺があったから、などと言われているそうです。
江戸時代の「清水」といえば徳川御三卿(ごさんきょう)
徳川御三卿とは、江戸時代中期、第8代将軍吉宗が創立したもので、田安徳川家、一橋徳川家、そして清水徳川家です。
御三卿とは、「藩」ではなく、将軍の身内のような存在で、将軍家に後継がない場合、または御三家あるいは他の大名へ養子などを提供する役割だったそうです。
御三卿のひとつ「田安徳川家」は、吉宗の次男、宗武へ江戸城内の屋敷を与えたことにより始まりました。その後、四男の宗伊にも屋敷を与え、「一橋徳川家」となりました。さらに吉宗の長男で第9代将軍、家重の次男、重好へ屋敷を与え、「清水徳川家」となり、ここで御三卿体制が整いました。
ちなみに、8代将軍徳川吉宗は、「徳川将軍家」ではなく、徳川御三家の一つ、「紀伊徳川家」出身です。将軍家の男系が途絶えたため、御三家の中から次の将軍として選ばれました。
そこで吉宗は将軍家を継続し強固なものとしなければならないと思い、御三卿を創設したと言われています。御三家の牽制の意味もあった、とも言われているそうです。
清水徳川家の「清水」は、「清水門」の近くに屋敷を構えたので「清水徳川家」となったそうです。なるほど!
清水門の大きな石段はこんな理由でした
清水門は、江戸城の北の丸へ出入りするための城門です。
ここに、東大の入学式の時に通った歩きにくい石段があります。「雁木坂」と呼ばれるこの急な石段、実はワザと歩きにくくしてあります。
その理由は、万が一、江戸城がこの門から攻められた場合、簡単に敵が登れないように、一段一段の段差を大きくしているのです。石段の石もワザと不揃いであったり、さらに石も敷いてあったりして、とことん歩きにくくしてあるわけですね。
江戸時代のものがそのまま残っている貴重な場所でもあったんです。そんな貴重な階段を知らずに降りていたわけですね。先に知っておけばもっと感動がありました!
健康な方でも革靴やハイヒールで歩く時は、ゆっくり慎重に一段ずつ気をつけてくださいね。
ちなみに、もちろん迂回路もあるみたいです。急な石段を歩く事が無理な方もいらっしゃいますから、石段はちょっと、という方は、少し坂道はあるみたいですけど迂回路を使う方がいいと思います。
まとめ
ちゃんと歩きにくい理由があるわけですよね。入学式の時はその理由を知らなかったので、なんでこんなに歩きにくいのだろうかと思っていましたけど、今は、江戸時代の本物の石段を降りたんだなと、感動しています。
ただもし知っていても、武道館を出てからの帰り道は、入学式から帰っている人がたくさんいて、行列に身を任せて進んでいたので、歴史の石段を味合う余裕はなかったかもしれませんね。
あらためてのんびり散策してみたいです。
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