長男が東大に入学したので、東大や赤門など、いろいろ調べていたら、東大が危機に陥ったことがある事が分かったので、まとめました。まさか東大が追い詰められていたなんて知らなかったですね!
コトの発端は関東大震災から
1923年大正12年9月1日、マグニチュード7.9の巨大地震が関東を襲いました。
関東大震災です。
死者行方不明者10万人超、家屋損害37万戸、被害総額45億円、当時の国民総生産の3分の1といわれています。
もちろん東京帝国大学も甚大な被害を受けました。倒壊や火災で校舎や実験施設などを失いました。
なかでも図書館の蔵書約75万冊が灰となったことは、日本の学会全体にとって相当な痛手だったそうです。この世に2冊とない本も多数含まれていたそうです。
関東全体の危機!復興への道筋
日本の学問の中心であった東大は多くのものを失いました。再建するまで時間がかかるので、学生は、京都大や東北大など他の帝国大学へ一時的に引き取ってもらうか議論されました。
そしてもう一つ議論されていたのが、「関西遷都論」。
廃墟と化した東京から関西へ日本の中心を移そうというものです。
これは東大の話だけではなく、中央官庁などの行政や皇室など多くのものが含まれていたそうです。
東京は商業都市として復興を目指し、行政、皇室などは京都を中心とした関西へ遷都する、というものでした。
そういう議論になる理由はいくつかあるそうです。
関東は地震多発地帯で危険であること、すでに人口が東京に集中しすぎていて分散が必要であること、復興には莫大な時間とお金がかかること、などなど。
確かに一理ありますよね。現代でも議論されている論点ですよね。
ただ東大としては大ピンチです。
中央にあっての東大の意義
仮に首都機能が関西遷都となれば、大学の構図が大きく変わると言われました。
その理由として、東大の権威は日本の首都の帝国大学である、ということに支えられていると言われていたからだそうです。
確かに、中央官庁、議会、政権などと東大は密接な関係がありそうですよね。
遷都となれば、京都大学が中央官庁と密接になり、東大は関東商業都市の大学となってしまうと考えられたそうです。
ただ実際はそうならず、すぐ政府によって東京復興計画が作成され実行されました。そしてそのうち関西遷都案も無くなっていったということです。
しかしその後も、政治や経済は東京中心でいいのか、教育は分散するべき、など何度も議論がされて今日まできています。
同じような災害がまた起こる可能性もありますから、リスク回避の意味でも必要な議論ですよね。
東大の内部でも移転問題
関東大震災後、キャンパスが狭い事を理由に移転問題が起きたそうです。
建物が密集した状態では、また災害で大きな被害が出ると。
議論では、国分寺移転案や代々木移転案などが挙がったそうです。
しかしこれも反対にあって、実現しませんでした。東京の内部でも、より中央にいてその役割を担うことが重要だ、という意見がでたからだそうです。
まとめ
東大が中心だという並々ならぬ意思を感じますよね。いろいろあってもやはり東大は東大として日本の中心で生きていくという事ですね。
日本の中心を担ってきた東大。どんなことがあっても、今後も中心であり続けるのだなと思います。