東大の本郷キャンパスには立派な赤門があります。テレビでも紹介されたり、外国人にも有名な門で、国の指定重要文化財となっています。
長男の東大の入学式の際に赤門について興味を持ったので調べてみたら、知らなかった奇跡もありとても面白かったので、まとめてみました!
現在の赤門はずっと閉まっています!
令和5年の入学式の時点では、閉門中となっています。これは、「赤門の耐震性の問題」という事です。閉門の期間は「耐震性の確認が確保出来まるまで」となっており、いつまでとははっきり決まっていないようです。
ですから入学式の時は、開いている赤門は見ることが出来ませんでしたし、門をくぐる事も出来ませんでした。
残念ですね、、、早く見れる日が来てほしいですね。
「赤門」といえば、このイメージですよね!
ご存知の通り、赤門がある東大本郷キャンパスは、江戸時代加賀藩主前田家の上屋敷があった場所です。
もともとは大手町に、前田家の上屋敷があったそうなんですが、大火災で焼失してしまい、下屋敷だった本郷が上屋敷となりました。本郷の敷地は東京ドーム7個分くらいあるそうです。
ちなみに上屋敷(かみやしき)とは、主に藩主とその妻子が住む屋敷のことです。
その他に、隠居や世継ぎや側室などの為の中屋敷、別荘や火災時の避難場所などの下屋敷、と他にもいろいろと屋敷の種類があったそうです。
そもそも、大名たちがこのようなお屋敷を江戸に建造するようになったのは、徳川3代将軍家光 によって参勤交代制度ができてからとのことです。江戸での住まいということですけど、人質という意味でもありますよね。
前田家の本郷の上屋敷の赤門は、1827年、徳川11代将軍家斉(いえなり)の娘 溶姫(やすひめ)が加賀藩13代藩主 前田斉泰(なりやす)の正室として嫁入りした際に、前田家がその出入り門として建立したそうです。
赤門の正式名称は、「旧加賀屋敷御守殿門」です。御守殿とは、将軍の娘が、武家の位の従三位以上、公家相当の家に嫁いで住むための屋敷 という意味があるそうです。
1827年建立ですから、もうすぐ200年が経つわけですね!すごい!
嫁いだ姫君が亡くなると、御守殿と赤門は取り壊されていました。しかし、溶姫は明治元年まで存命だったそうなので、時代が明治へと変わり、奇跡的に御守殿と赤門が取り壊されずに残ったんですね!
江戸時代には赤門がいくつかあったそうですが、生き残った東大の赤門は歴史を伝えるとても貴重なものなんですね。
1910年(明治43年)赤門
画像:ウィキペディア「東京大学」より抜粋
本郷邸は江戸時代の時から観光地だった!
豪華絢爛たる本郷邸の上屋敷は、将軍・大名・町人など、多くの人が見にくる名所だったそうです。その当時から豪華で珍しく貴重な存在だったんですね。
華やかな前田本郷邸にある赤門は、たくさんの人々に見られていて、人気があったんでしょうね。
赤門には前田家の家紋があるので探してください
赤門の屋根は、瓦葺となっています。その軒の丸瓦には、加賀藩家紋「加賀梅鉢」がかたどられています。
梅鉢は、5つの丸を梅の花弁に見立てた五角形のような家紋です。赤門の写真を持っている方は、探してみてくださいね。
じつは赤門の場所、移設されているんです!
東大のシンボルである赤門、今の場所へは明治36年に移設されました。元々の場所は今より約15mほど、東側のキャンパス寄りにあったそうです。
その移設の理由は、明治時代にさかのぼります。
明治元年、溶姫は、新政府軍と旧幕府軍との戦禍を逃れるため、金沢へ移動しました。そのあと、本郷町で火災が発生し、本郷邸は焼けてしまいましたが、少し離れていた赤門は焼けずに残りました。奇跡的ですね!
その後、赤門のある本郷邸跡地は文科省用地となり、1876年明治9年、「東京医学校」が神田和泉町(秋葉原駅北東)から本郷へ移転してきました。
その翌年の1877年 明治10年4月12日、「東京開成学校」と合併し「旧東京大学」が誕生しました。
その後、明治36年の医学部校舎建設に伴い、赤門は西へ15m、現在の場所へ移設したとのことです。校舎を建設するので移設したんですね!
ちなみに、「旧東京大学」と言われる理由は、1886年明治19年、帝国大学令に基づいて「東京大学」から「帝国大学」に改称されました。
そして1897年明治30年に、2つ目の帝国大学「京都帝国大学」が創設された際に、「東京帝国大学」と改称されました。
その後、戦後の1947年昭和22年に「東京大学」と改称され、現在に至っています。
一度、名前が変わっているので、「旧東京大学」と呼ばれるみたいですね。
また、合併して旧東京大学が誕生した4月12日は、現在、東京大学記念日となっており、毎年この日に入学式がおこなわれています。
東京空襲からも被害を免れた赤門は、昭和25年、国の重要文化財に指定されました。空襲に負けなかったなんて、奇跡ですね!
まとめ
1923年大正12年の関東大震災の際も、東大の校舎などは甚大な被害を受けたにもかかわらず、赤門は被害を免れました。これも奇跡ですね!
赤門は、火事にも地震にも空襲にも負けずに奇跡の連続で生き残り、200年くらい前の姿を私たちに見せてくれるわけですね!
本当に貴重なものだと改めて感じました。
ぜひ耐震性を確保して、引き続きこのままの姿を後世に残してほしいです。